Vol.3 美

20160513-etude

洋服を選ぶ時、当たり前のように「似合う」かどうかで選ぶ。

最初はデザインで手に取り、 実際に着てみて、自分のイメージを確認する。

では、いつ、「似合う」を知るのだろうか。

もしかして、それを知らずになんとなく服を選んできたのかもしれない。

人には「美しい」と感じる能力がある。

それは教えられるものではなく、それぞれ違っていて、でも共通点もあると思う。

だから、ずっと昔につくられたものがずっと感動を与え続けられる。

自分の中のこの感覚を大切にしていけたら 「似合う」ことは自然と知ることが出来そう。

難しいのは「似合う」という状態を主観的に感じながら

身に着けることで常に客観的な視線に晒されるということだ。

ということは客観性をどう意識するかがどんなものを選ぶかに大きく関わってくる。

ダサいのは嫌だけど、目立つのも嫌なら、大衆的トレンドを意識するかもしれないし、

オシャレに見られたい!と思うなら個性的スタイルに惹かれるのかも。

(あくまで「スタイル」であって、独自性があるかどうかは別の話)

美しさとは限られた世界の中にのみ存在するものではない。 日常の中に自然に存在している。

それに気づけるかどうか、醜さの中の普遍的な美しさを感じられるか。

その延長で身の回りのものを選べる人は自然といいものをいっぱい持っていそう。

私が「かわいいのもってる!」と思う人は 個性的「スタイル」ではないし、

パッと見で分かるようなブランドも身に着けていない。

ただ、どこか完璧な美しさが、ある。

と、ここまで書いといて何ですが、 ファッションの基本は自己満足だから、

私がどう思おうが何を身に着けるかなんてその人の自由だし、

私もいつも「これだ!」って服着てない。

そんな服が簡単に見つかるくらい、ステキなものが世の中に溢れていたら 私はものづくりしませーん。

むしろ、身に着けるものによってヒエラルキー形成したい人々に嫌悪感。

そーゆー人に限って、大した服着てないの。

ブランド=いいもの、じゃ決してない。

そーゆーものこそ、見る目を持っていないと買わされて終わってしまう。

「いかに安く買うか」と「どのブランドを持つか」って 正反対のようで、同じ気もしている。

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