Vol.4 みる

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ちゃんとみることが大事だ。
つくるときもえらぶときも。
どれだけの量を、ではなく どう、みるか。
ちゃんとみていると、
あるときそれまで見えなかったものがみえる。
それは見えた時にしかわからない。

Vol.3 美

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洋服を選ぶ時、当たり前のように「似合う」かどうかで選ぶ。

最初はデザインで手に取り、 実際に着てみて、自分のイメージを確認する。

では、いつ、「似合う」を知るのだろうか。

もしかして、それを知らずになんとなく服を選んできたのかもしれない。

人には「美しい」と感じる能力がある。

それは教えられるものではなく、それぞれ違っていて、でも共通点もあると思う。

だから、ずっと昔につくられたものがずっと感動を与え続けられる。

自分の中のこの感覚を大切にしていけたら 「似合う」ことは自然と知ることが出来そう。

難しいのは「似合う」という状態を主観的に感じながら

身に着けることで常に客観的な視線に晒されるということだ。

ということは客観性をどう意識するかがどんなものを選ぶかに大きく関わってくる。

ダサいのは嫌だけど、目立つのも嫌なら、大衆的トレンドを意識するかもしれないし、

オシャレに見られたい!と思うなら個性的スタイルに惹かれるのかも。

(あくまで「スタイル」であって、独自性があるかどうかは別の話)

美しさとは限られた世界の中にのみ存在するものではない。 日常の中に自然に存在している。

それに気づけるかどうか、醜さの中の普遍的な美しさを感じられるか。

その延長で身の回りのものを選べる人は自然といいものをいっぱい持っていそう。

私が「かわいいのもってる!」と思う人は 個性的「スタイル」ではないし、

パッと見で分かるようなブランドも身に着けていない。

ただ、どこか完璧な美しさが、ある。

と、ここまで書いといて何ですが、 ファッションの基本は自己満足だから、

私がどう思おうが何を身に着けるかなんてその人の自由だし、

私もいつも「これだ!」って服着てない。

そんな服が簡単に見つかるくらい、ステキなものが世の中に溢れていたら 私はものづくりしませーん。

むしろ、身に着けるものによってヒエラルキー形成したい人々に嫌悪感。

そーゆー人に限って、大した服着てないの。

ブランド=いいもの、じゃ決してない。

そーゆーものこそ、見る目を持っていないと買わされて終わってしまう。

「いかに安く買うか」と「どのブランドを持つか」って 正反対のようで、同じ気もしている。

Vol.2うしろ!

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ウエストギャザーのゆったりボトム女子をよく見かける。

ガウチョパンツより、やわらかいイメージの。 体型カバー効果も期待できそうな。

個人的にジャストウエストのギャザーはお腹周りが「ぼよん」とするので着ませんが、

それはおいといて。 前はともかく、うしろ。

動いた時などにギャザーが伸びておしりの丸みを無駄に強調してる時が、けっこーあります!

元々ゆったりしているせいか更に大きく見えている。

何度も街中で遭遇して、 見るたび、こちらが恥ずかしくなる。

もしかしたら本人は分かっていて着てるのかもしれないけど。 それならいいのだけれども。

洋服を選ぶ時、試着は絶対だけど 全角度から見て、歩く姿まで見てほしい。

実際に着た時、周りから見られているのは 自分から見えない部分だから。

前は良さそうでも横は姿勢が悪そうだったり後ろはテキトーなデザインだったり色々です。

その他の物事も、そうです。

Vol.1好きってなんだろ

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今回ブログを始めるにあたって与えられたテーマがいくつかあります。

大きく分けてみっつ。

ひとつは前回書きました。 『195先生との出逢いから195étudeが誕生するまで』

残りのふたつは『ファッション』と『ものづくり』について。

テーマが壮大なので、今後少しずつ書いて行きます。

ただ、好きだからこそ、全部好きではないのです。

それは気持ちが少ないからではなく 本当の感動を知っているからです。

全てのジャンルにおいて、ただただ好きすぎる人をあまり信用していません。

本当に好きな人は同時に厳しい目も持っているものだからです。

それならば知識だけの人より、 自分の感じたことを素直に表現出来る人の方が 話していて発見があって楽しい。

情報と感覚、どちらも大切です。

このバランスが難しいのは自分自身が普段どう生きているか、だから。

195étudeが誕生するまで

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195教室は1対1の対話を通した学びの場。

その生徒同士が集まり、それぞれの個性を生かしたグループ活動が出来れば

何か面白い反応が起きるのではないか、という195先生の希望的実験願望がきっかけ。

人見知りは面白い、らしい。

 

195先生とは

アンバランス。(いい意味で)

それが人を惹きつける点でもあり、誤解される点でもありそう。

ひたすら「私(と)は」を大事にしている。だから小さな事も気を配る。

かと思えば大胆なことをやってみたり、外見とは裏腹に中身が控えめだったりして

そのギャップに周囲が混乱してる様子は大変興味深い。

自覚がないのがまた素晴らしい。

理屈では説明できないヒトの何かを認めつつ冷静な視点を持っていたいと思っている。

195

 

 

195先生と私

始まりはモード学園での担任と生徒。

当時は、そんなに親しくなかった。私はやっかいな生徒だったよう。

その理由は今になってみれば十分理解出来るが、

当時は自分の事を従順で真面目な生徒だと本気で思っていた。若気の至り。

歴代の担任の中で最もファッションと夢の力を信じ、生徒のことを想っていた先生でした。

ただ、私の事を他の方に紹介する際、とても優秀な生徒としてお話しされているようですが、

そんなことはまったくありませんので念のため。

 

195先生との再会

facebookで十数年ぶりに再会。

当時はファッションからずっと離れていてミシンだけ数年前から再開していたころ。

そのあと、もう一度洋服をやりたいと思い(きっかけは忘れた。多分なんとなく)

当時の仕事を辞めて、時間のある今だからこそ出来ることがやりたかった。

パリに行くことも考えたが、私一人で行ってもただの観光にしかならない。

そんなとき、「ファッションを科学する」と「ワンピースレッスン」の投稿が目に入り

『!』と衝動的に決めた。

195先生いわく「本当に来るとは思わなかった」らしい。そりゃそーだ。

私自身「本当に私は行くのか?」と思っていた。

 

初アトリエ留学

行き先は広島だが学ぶ相手が中身全部パリみたいな方なので

『フランスよりフランスなファッション短期留学』

この言葉を195先生はとても気に入っていた。

ファッション留学とはいえ、その世界から離れて久しく

一時は自分に似合っているかどうかも分からないくらいだったので

初日はぽわーんとしていた。好きなデザインなんて選べなかった。

しかし、アトリエの空気の力もあり、だんだんとものづくり熱が蘇ってきた。

途中、色んな人に着てもらう機会がありそれぞれの反応から

自分にとって大切なごく小さなディテールのパワーだったり

目には見えない『想い』の力が確かにあることなど、答え合わせのような感動的な経験が出来た。

帰る前日にはテンションが高まりすぎて、絶対に妥協したくない自分が出てきて、

195先生には申し訳ないと思いつつも、敵対心さえ持ってしまえる自分自身に

自分のことながら「こいつ大丈夫か」と心配になった。

結局、日付が変わった頃に納得できる仕上がりになり祝杯を挙げた。

時期的に海外の長期休暇と被っていたため、

宿泊先も街中にも外国人ばかりで本当に海外に来たみたいなのも良かった。

このときロングヘアをバッサリ切った。

帰る直前、何気なく巻いたストールが初めて理想通りに巻けた。

これまで鏡を見ながら何度やっても巻けなかったのに。

 

やっぱり想いの力はあるんだ、と思った。