October 2, 2018

私と女優と人生とVol.10

自由とは白黒つけることではない 大人の自由なグレーについて

 昨年のはじめ頃、衝撃的な歌詞を聴いた。その名も「おとなの掟」。グッときた。キーワードは、「自由」「おとな」「グレー」。

私には今までなんとなく“思っていた事”があった。我が国で自由な大人になるためには、ある特定の分野で経験を積み、白黒はっきりさせる為の術を身に着け、極力時短で事を済ませなくてはいけない。そして、その道の専門家になる。なにかの専門家になるのは良しとしても、それと自分本来の「自由」を手にすることと、果たして同じなのだろうか、と。それは、本当に成熟の先にあることなのだろうか、と。そんなことを、ずっと私は思ってきた。そして私は、なによりも「大人の自由」を愛している。

そこで今回は仏の大女優カトリーヌ・ドヌーブ。
映画「シェルブールの雨傘」ではジャック・ドゥミー、「昼顔」ではルイス・ブニュエル、「反撥」ではロマン・ポランスキーにと、数々の個性派映画監督の挑発により、新しい魅力を引き出され、“美人であること”を何層にも成熟させて魅せた張本人。「終電車」「哀しみのトリスターナ」「ハンガー」などなど、どの作品にも挑戦があり、違った存在美を映像に残す。

プライベートでは、過去には「343人の女」として、仏の人工中絶の自由化に貢献し、最近では「アンチ#MeToo」としての書簡を公表し、賛否両論を巻き起こした。つまり、女優でありながら常に自分の意見で行動してきた女性である。

『パリでは自分の目で見て歩くことができる』とある本で目にし、こんな基本的なことだけれど、はっとした。そう、自分の脚がどんな足で、どこに行きたいのかを、自由に受け止めることは、“本当は”そう難しくない。けれどなかなかそれができずにいるのが、現代の大人なのではなかろうか。

目の前の正しさは、常に変化していて、ただその事実を受け止めればいい、だけなのに。

そうだ!「大人の自由」とは、51%の挑戦の先にあり、今日「黒」と思ったものも明日「白かも」と自分に問いただす謙虚さと生命力が必要なのだ。結果、人生は自由を手にしたグレー。

▽過去の連載記事は下記のリンクよりご覧いただけます。▽

Text :  IkukoSuzuki

Illustration :  935