「鎌高座談会」 Vol.1

我が195が、なんと母校である千葉県立鎌ケ谷高等学校にて、在校生と座談会を行いました。

90分に渡るその様子を数回に分けてお伝えいたします。

 

 

 

vol.1「24時間全てを鈴木郁子で生きたいと思った訳〜デザインの力とは」

 

 

司会 今日は参加して下さってありがとうございます。今日は鈴木郁子さんと在校生で座談会をしていただこうと思います。まずは高校生から自己紹介をお願いします。

 

I      美術部のIです。

 

K      美術部の部長でKです。

 

S       美術部の副部長でSです。

 

一同      よろしくお願いします

 

鈴木      私は鎌高10期生のファッションデザイナーの鈴木郁子です。よろしくお願いします。

 

 

司会      何か考えてきましたか?これを聞きたいとか。

 

在校生      はい。メモしてきました(笑)。

 

S  発想とかはどういう時に?

 

鈴木     今は仕事にしてから30年以上経っているので、今となっては仕事とオンとオフが一緒なんですね。だから常に考えていると思うんですけれども、若い時は今からデザインを考えようと思って考えたり、今日はどんなデザインをしたいからどこどこに行ってどんな音楽を聴いてやろうとか決めていたりしていましたけれども、それをやっていた時期と、今はフリーになって6年なんですけれども、フリーになってからは所謂プライベートで生きてる時間と仕事として生きてる時間を一緒にしたいとすごく思って、それは自分だけじゃなくて、これから生きていく私の世代のあとの人達、あなた達もそうなんだけれども、そういう人達もそういう風に生きていけたらいいんじゃないかと思うので、その中でのデザインを考え、人生レベルで考えようとしています。
だからデザインというのは、毎日が楽しくなる、普通の毎日が楽しくなる手助けをするのがデザインだと思っているので、何か困っているところはないのかなと見ながら、考えているので、普通の時ですね。普段の中でということ。

 

K     デザイナーとして、これだけは譲れないなということは。

 

鈴木     あー。ええとですね。デザインの力が一番だと思っているんですよ。人と人と繋ぐとか世の中を良くすると言ったら変なんだけども、人間界よりももっと広い部分のデザインをしたいと思っているので、地球にいる生命全部をね、良くするにはやっぱりこう、デザインだと思っているんですよ、機能とか、権威とか経済力とかそういう大事なこともあるんだけれども、それよりデザインだと思っているから、それを一番に考えているようなデザインをしたいとは思っています。今日どういうふうに思われていたかわからないんですけれども、所謂デザイナーみたいに見える人になりたいとかそうではなくて、自分らしく生きてる54歳に見えたらいいなと思っているので、それがデザインだと思っているんですよね。
そこは譲れないかな。ちょっと前はね、所謂ファッションデザイナーに見えたいとか、業界の人っぽくしたいとか、そう思っていた時期もありましたね。30代の頃とか。すごくこう、今流行のブランドを知ってるぽくいたいとか、すごく収入もアップしてるよーみたいな雰囲気を出したいとか思ってることもあったんだけれども、今はそうではなくて自分らしくナチュラルに生きていることが、皆とちゃんと共生しながら命の共生しながらの1人だよというのがにじみ出て、デザイナーとして見えたらいいなって思っています。

 

 

I     そういうデザイナーになろうと思ったきっかけ・・・

 

鈴木     それはもうはっきり言うと東日本大震災の時です。あの瞬間ですね。やっぱりそう言われている方多いと思うんですけれど、あれ前と後は私の中で完璧に違いますね。
それは今となってわかったことで、その当時はどう変わるかなんて全くわからなかったんですけれども、今思うときっかけはそうですね。
単純にそれまでやっていた仕事と言うか、ある権威に向かってずっと努力をして工夫しながらやってたんですよ。東京らしく、まあ実家は千葉県なんですけれども、東京の所謂どう見てもファッションということをやっていたんですね。
こうなりたい、10年後にはこうなりたいとその日3月11日の14時45分まではそう思っていたんですよ。ところがその時ファッション専門学校の教師をやっていて、生徒と面談してたんですね。2人で。3月11日って春休みの初日だったんですよ。専門学校は3月10日までは普通の授業で、3月11日に学校に来てるってことは、単位を落としているんですよね。単位を落としていて、午前中の1単位だけを落とした学生が来て、来年は繰り返さないでねと午後にですよ。そういう担当だったので、絶対に同じことは繰り返したら駄目だよと叱っている最中にきて、これは普通じゃないと思って、面談室は個室だったんですけれども、まずドアを開け(机の)下に入ってて、いやこれはちょっとと思ってね、でその時に多分自分の中で、ああ、これが自分の人生最期。思ったの。最期だと思ったんですよ。それがね、モード学園て知ってるかなあ?新宿の。50階なんですよ。高層ビル街の中でもちょっと変わった特殊な。その42階っていうところにいたのね。ものすごく揺れて。高速エレベーターが3基あるんだけど、それがガチャーンガチャーンすごい音がするし、絶対に壊れると思ったんですよ。こうガシャーンと後の数秒後には学生と一緒に落ちるんだなってずっと思いながら、でも先生だから守らなきゃいけないでしょ、でもそう思っても関係ないぐらいになって、ああこれが最期だ、って思った瞬間、でもそうじゃなかった。で先生に戻ってその学生連れて皆がいるところまで行って、避難とか始めて。それからその後ですよね、それはプライベートじゃなくて仕事としてしてるけど、自分自身に戻った時に、何かねすごく不思議だったの。私はこういうデザイナーになって、ファッションデザイナーになりたいと思ってやってたから後悔なく毎日をフルに生きてると思ってたの。
今日がいつ最後でもいいと思ってた訳。ところがその時揺れてる間、今日が終わりだと思っている間後悔が一杯になったんですよ。もう何の後悔かも気がつかないんだけど。えー、今日が最後だったらもっとやりたいことがあったな。って思ったことがすごく意外だったの。すっごい意外で、その時は働いていたけど、でもふと自分に戻った時に、あ、後悔あったなと思ったら、この後の人生はそれをとにかくやっていこう。だってもうないと思った人生だからやろうと思って。でそれには計画を一旦やめないといけない。ファッションデザイナーはこうだと思っていたことをとりあえず辞めたというのがあって。

 

 

K     震災のときは皆小学生だから、当時怖い思い出なんです。

 

鈴木     そう。だからすごく不謹慎かもしれないけれども、あの時に自分がそれに遭遇したことは感謝してるというか、あれがもうちょっと後でも先でも、もしかしたら違ってるかもしれないし、ある程度30年やって、先生としても19年やって、そうやって単位を落とした学生に指導するような立場になっていて、だったからこそだったかもしれないし、そうなのかなとも思ったんだけども、そのだった気持ちを使い切りたい!と思ったんですよね。

 

次回に続きます。